己こそ・・。

自分には、根底に流れている思想がある。

” 己こそ、己のよるべ、己に寄らずして

誰によるべぞ、良く整えし己こそ

誠、得がたき寄る辺なり ”

少林寺拳法を学んだ人なら誰でも

知っている言葉である。

自分を寄りどころとせず、誰に頼る事ができようか?

己を鍛えれば、一番頼りになるのは、おのれ自身である。

と言う例えだ。

健全なる肉体に健全なる精神が宿ると言う

フレーズがある。

しかし、肉体だけ鍛えても精神を鍛える

事はできない。

肉体と精神は分離している。

だから、肉体と精神を同時に鍛える必要がある。

プロのスポーツ選手は、メンタルケアを肉体の鍛錬とは

別にプログラムとしてトレーニングに取り入れて

いる時代だ。

肉体を鍛えれば自動的に精神を鍛えられる

と言う考えの時代はすでに終ったのである。

肉体と精神の修行は別だと言って

創設時期から実施しているのが

金剛禅だ。

それが少林寺拳法の行でもある。

即ち、少林寺拳法の真髄はそこにある。

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世の中くだらない事に囚われる人が

非常に多い。

自分が生きてきた過程で得た名誉、

学歴、地位と人間関係。

しかし、それは本当に尊敬に値する事

なのか?

学歴の高い人は確かに勉強をその時

していたのだから、素晴らしい。

しかし、今はどうか である。

人は常に進化する。

とどまってはいない。

己に対する批判を聞き入れない

人はそこで、進歩が終わる。

自分は、少なくてもそんな下劣な

くだらない、人間にはなりたくない。

学歴や地位や名誉は関係ない。

一人の人間である。

自分が知っている、詩吟の先生も

名誉と地位が依然はあった。

しかし、それを全面に出すことはしない。

自然体である。

その先生(恩師)のすばらしさは

尊敬に値する。

自分が何様かを、きちんとわきまえている

人である。

そんな詩吟の恩師は、誰にも好かれる

素晴らしい人で、誰しもが慕っている。

慕うとか尊敬すると言う事は

他人が判断する事である。

自分の学歴や地位や名誉は

まったく関係が無い。

それを忘れた人間は愚劣そのもので

嘆かわしい個人に過ぎない。

そんな愚かな人には、少なくても

自分は成りたくない。

歳を重ねても常に人の意見を

聞き入れ、若者を育てられる

人でありたい。

そんな気持ちを思うこの頃である。

” 合掌 ”

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