合戦川中島

永禄四年(1561年)九月、上杉、武田の両軍が

千曲川を挟む小高い峠に

陣を張った。

妻女山に上杉軍1万3千、

茶臼山には武田軍2万

おりしも千曲川は霧が立ち込め

犀川の辺りでは雨が降っていた。

妻女山では、合戦の

前触れの如く、松林を

吹く風が激しく吹き、

鳴っていた。

均衡を破り動いた武田軍は

啄木鳥(キツツキ)戦法と言う

策略で妻女山にいる上杉軍を

背後から襲い、出て来たところを

待ち伏せし打ち取る戦略の為、

兵を2方向に分け、一方を

千曲川と犀川の合流する

川中島へと陣を動かす。

一方、夜陰に乗じて妻女山から下山した

上杉軍が突然、霧の晴れ間から

、武田軍の目前に現れ

弓矢のうなり、時の声、馬のいななり

押し太鼓の音に包まれ両軍

激戦の場となった。栗毛の馬にうちまたがり

白布に面を包み、大太刀を振りかざし

唯一一騎で武田の本陣へ

斬り込んだ上杉謙信は

10年の遺恨を晴らさんと

武田本陣へ切り込み声高らかに

「いざ、武田殿」と信玄へ斬りつけた。

刀を抜く間もない信玄は、それを

鉄扇で受けたが切っ先は

鉄扇を割り、信玄の肩に傷を

おわせた。

二の太刀をと思った瞬間

謙信の馬に槍が刺さり

馬が立ち上がって

二の太刀を振るう事ができず

好機を逃がしてしまった。

妻女山の背後に回った

武田軍が駆けつけた為だ。

そんな、状況を漢詩とし

吟じたのが詩吟、

合戦川中島である。



画像



漢詩 七言律詩

合戦川中島 作者 角光ショウドウ



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