新潟に宿す!!

鮫川橋のそばに、

石碑がある。

吉田松陰が上田(植田)へ

宿しての来訪の記念碑です。

こんな感じで・・・。  

顧みれば、小学校の講堂前に

何かの石碑が有ったのですが

稚すぎて、

分かりませんでした。

DSC_0363.JPG

幕末の志士で、思想家の

吉田松陰は1851年 長州藩を

脱藩し、江戸に出て

佐久間象山に学び、

安政4年(1857年)には

松下村塾を開き、高杉晋作 

伊藤博文、山縣有朋等の

逸材を育てた人物です。

松蔭が植田を訪れたのは

1852年旧正月23日の

夜でした。
 
松蔭は、日本諸国の事情を

目で確かめながら

混沌とした思想を

確率しようと模索していた

時期のこと、通行手形の

入手が出立に間に

合わなかった為

脱藩をして江戸から

水戸街道、浜街道と

足を進めての到着で

松蔭21歳の時でした。

この時期、松蔭は浪人

松野他三郎と名を変えて

2人の同志とともに江戸から

北上、磯原、に泊まり

正月23日朝6時に出立し、

夕方 植田宿に到着して

泊まりました。

翌朝は番所地点まで戻り

道標を右折して、山田、

上遠野から御斎所街道に

出る。

竹貫(古殿町)で宿泊して

会津へ旅立ったのです。

松蔭はその行程を

[東北遊日記]に記し、

この内鮫川越えに関しては

[大島を過ぎ、鮫川を渡り、

上田に宿す]と書き

同志との別れの心情を

七言古詩に託しました。

そして最後に「夜、雨」と

結んでいます。  

しかし考えて見ると

不思議な事があります。

磯原でも竹貫でも

宿泊先を記して

いるにも関わらず、植田において

宿泊場所を記してないのてす。

又磯原から植田まで

半日ほどの行程にも

関わらず、丸1日を掛けて

いるのも不思議です。

以前、大津港や中田浦では

異国船上陸の騒ぎがあった事

から海防の様子を検証していた

のでしょうか?

様々な憶測が、巡ります。

後宿児童公園内に

建てられた石碑

高さ2m余り巾1m余り

仙台石の表面には、

「殉国 吉田松陰先生

遊歴の地」が、裏面には

日記の一部がそれぞれ

刻まれています。

石碑の建築は

昭和15年(1940年)

10月日本が独自に定めた

天皇起源を基としたに

年号である皇紀2600年を

記念して戦争に

突入する状況に

あって難局を乗り切ろうと

住民を鼓舞すら為に

建設され昭和17年

1942年旧正月23日に

完成しました

が当初設置が決められていた

新装間もない鮫川橋の袂には

建立できませんでした。

この為、昭和19年(1944年)に

当時植田駅前にあった

植田小学校の講堂脇に

建立されました

しかし、ここも安住の地とは

ならず。

植田駅前都市改造事業

に伴い昭和41年(1966年)

後宿児童公園に移転されました。

こうして幾多の歳月は流れましが

新しい鮫川橋の建立を機に最初の

建立予定地であった鮫川河畔に

移設したものです。


DSC_0362.JPG

 ” 新潟に宿す ” 吉田松陰作


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